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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)12815号 判決

原告 有限会社丸喜建具商店

右代表者代表取締役 町口喜三治

右訴訟代理人弁護士 桑田勝利

被告 三上正治

右訴訟代理人弁護士 稲野良夫

主文

一、被告は、原告に対し、金一一七万八八七〇円およびこれに対する昭和五五年一月九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、この判決は、原告が金四〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

主文一、二項と同旨の判決および仮執行の宣言。

二、被告

1.原告の請求を棄却する。

2.訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二、当事者の主張

一、請求原因

1.(一)被告は、訴外五強建設株式会社(以下、訴外会社という)の取締役の地位にあるものである。

(二)仮に、そうでないとしても、被告には自己が訴外会社の取締役として登記されるにつき過失があるから、商法一四条の類推適用により、被告は、善意の第三者である原告に対し、自己が取締役でないことをもって対抗することができない。

すなわち、被告は、訴外竹添兼六(以下、竹添という)が訴外会社を設立するに際し、発起人になることの要請を受け、これを承諾したのであるから、当然に設立後の取締役などについても十分な打ち合わせをなし、定款など、発起人として必要最少限の書類に押捺すべきであったのに、漫然と竹添の要請する取締役就任に関する書類(創立総会における議事録の取締役欄、代表取締役選任の取締役会議事録の取締役欄)に押捺し、これらの書類の作成に加功した過失がある。

2.原告は、訴外会社に対し、昭和五四年六月ころから同年九月三〇日まで、建具を売り渡し、計一一七万八八七〇円の代金債権を有していた。

3.(一)訴外会社は、昭和五四年一〇月二五日資金不足のため自己振出の約束手形の決済ができず銀行取引停止処分を受け、資産皆無の状況にある。

(二)そのため、原告は、前記債権の支払いを受けることができなくなり、右債権額相当の損害を被った。

4.(一)訴外会社は、昭和五四年初めころから資金繰りが苦しく、いわゆる高利貸しからの手形割引の方法などによって資金操作をして営業を継続していたのであるから、同社代表取締役竹添は、原告に対して発注する際、その代金支払をなしえないかも知れないことを予見しながらこれを秘して注文し、これを納入させてこれらの商品を騙取し、原告に前記損害を被らせた。

右騙取の主張が認められないとしても、右竹添は、その代金支払いの見込みのないまま、原告に対し建具を注文して納入させ、その結果、原告に前記損害を被らせた。

(二)訴外会社は昭和五三年八月三一日を期末とする決算書類によると債務超過の状況にあり、被告は、同社取締役に昭和五三年一一月二九日重任しているのであるから、右決算結果を承知し、また承知しうべきであったのに、取締役として経営正常化になんらの責任を果たさなかったのみか、代表取締役竹添が取引先との間に融通手形を交換し、あるいは貸金業者から高利の金融を受けて事業を継続していることを放置し、また、仕入代金の弁済見込みのないまま右竹添が原告から建具の仕入れをしているのにこれを取締役として許容した重大な過失に基づき、原告に前記損害を被らせた。

5.よって、原告は、被告に対し、商法二六六条の三第一項前段により、右損害金一一七万八八七〇円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五五年一月九日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、請求原因に対する認否

1項の(一)は否認する。

2項は知らない。

3項の(一)は認める。

4項の(一)は知らない。同項の(二)のうち、被告が取締役である旨の登記があることは認め、被告に重過失があったことは否認し、その余は知らない。

5項は争う。

第三、証拠〈省略〉

理由

一、成立に争いのない甲第一ないし第三号証、第一六号証、証人竹添、原告代表者、被告本人の各供述(証人竹添、被告本人については、措信しない各部分を除く)、弁論の全趣旨を総合すれば、訴外会社は、昭和四九年七月二八日設立され、不断は、その唯一人の代表取締役である竹添がまた唯一の従業員でもあるという会社であること、被告は、訴外会社の設立に際し、竹添からの要請により発起人になることを承諾したこと、被告は、訴外会社設立時の取締役として、また、昭和五三年一一月二九日重任による取締役として登記されている(被告が取締役として登記されていることは、当事者間に争いがない)こと、訴外会社の代表取締役である竹添は被告の女婿であり、竹添の妻(被告の娘)や竹添の兄弟も取締役に就任していること、竹添は、妻とともに、昭和四八年七月以降(後記の被告の居宅新築の前後を通じて)訴外会社のいわゆる倒産時(昭和五四年一〇月)まで被告と同居しており、訴外会社の本店所在地は、設立当時の竹添や被告の住所である(被告から居宅の一部を事務所として借りていた。ただし、後記の被告の居宅新築後は、事実上、右居宅の所在地)こと、被告は、昭和五一年ころ、信用金庫から居宅新築資金の自己名義による借り入れが拒絶されたため、被告にかわって竹添が右金庫から融資を受けた資金を利用して、訴外会社に請け負わせて自己の居宅を新築し、右居宅の一部を訴外会社に賃貸してきたこと、右居宅には、昭和五二年八月一二日受付で、同年七月二一日設定された債務者を訴外会社とする極度額五〇〇万円(この額は、昭和五三年三月一〇日受付で一〇〇〇万円に変更登記されている)の根抵当権、および昭和五四年九月二〇日受付で、同日設定された債務者を訴外会社、竹添、被告とする極度額一五〇〇万円の根抵当権の各設定登記がなされていること、被告の妻は、訴外会社の仕事を一部手伝っていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。また、証人竹添の供述によれば、竹添は、中学卒業以来ずっと大工の仕事に従事してきたものであって、会社設立手続を知らなかったところから、訴外会社の設立手続を弁護士に一任し、自らなしたことは定款の作成に関与したこと以外は、弁護士から言われるままに役員となる者を集めたことくらいにすぎないことが認められ、右事実に登記簿上訴外会社設立時の取締役が九名にも達していたこと(これは、前掲甲第一六号証によって認められる)や同証人の供述内容全体を考え合わせてみると、竹添自身が訴外会社設立時において、発起人と取締役とを明確に区別して認識していなかった蓋然性が相当高いものと考えられる。以上述べたところを総合し、弁論の全趣旨(被告は、当初、被告が取締役であったことを認めていた)を考え合わせると、被告は、訴外会社の設立に際して取締役に就任することを承諾し、その重任についてもこれを承諾したものと推認するのが相当であって、これに反する証人竹添、被告本人の各供述の各一部はにわかに措信し難い(この点に関して証人竹添、被告本人の各供述の共通するところは、被告は訴外会社の取締役に就任することを承諾したことはないと供述し、その理由として、被告と竹添との仲が疎遠であることをあげていることである。しかし、前認定のとおり、被告の居宅の新築資金の金繰りについて竹添は被告に協力しているのであるから、被告と竹添との間が疎遠であったとは断じきれないものがある。のみならず、証人竹添の供述中には、訴外会社が潰れた後、竹添は被告の居宅から追い出されたとの供述部分があるほか、とくに被告本人の供述中には、被告と竹添との不仲を強調するが如き供述部分があるけれども、現在でも、従前とは別の場所で被告と竹添とが同居している事実(これは、記録中の竹添の証人調書、被告の本人調書の各住所欄、原告代表者の供述によって認められる)に照らしてみると、右の被告と竹添との間柄に関する証人竹添や被告本人の各供述部分は措信し難く、さらに、訴外会社の設立に際しては被告(被告が発起人になったことは前認定のとおり)の認め印を使用してその手続をなしたという証人竹添の供述部分や、発起人になることを承諾して押印しただけで、竹添に実印や印鑑証明書を渡したことはないし、委任状に押印した記憶はないという被告本人の供述部分は、定款の認証手続に関する公証人法の規定に照らしてとうてい措信できず、ひいては、被告が取締役の就任を承諾していない旨の証人竹添、被告本人の各供述部分もにわかに措信し難いものというべきである)。

二、弁論の全趣旨によって真正に成立したものと認められる甲第四号証、原告代表者の供述によって真正に成立したものと認められる甲第一四号証、原告代表者の供述を総合すれば、原告は、訴外会社に対し、同社代表取締役竹添の注文に応じ、昭和五四年五月一二日から同年九月三〇日までの間、建具を掛け売りしたこと、同日現在における右期間の売掛債権額は一一七万八八七〇円であることが認められる。

三、請求原因3の(一)の事実は、当事者間に争いがない。

そうすると、原告は、前記売掛代金の支払いを受けられず、右代金相当額の損害を被ったものと認められる。

四、まず、代表取締役竹添の責任について検討する。

前掲甲第一号証、証人竹添の供述によって真正に成立したものと認められる甲第七号証(これは、原本の存在およびその成立も認められる)、第八号証、第一〇、第一一号証、原告代表者の供述によって真正に成立したものと認められる甲第一二号証の一ないし七、第一三号証の一ないし一二、証人竹添、原告代表者の各供述、弁論の全趣旨を総合すると、訴外会社の資本金は一〇〇万円であること、代表取締役竹添は会計面についての知識を有しておらず、これを税理士に相談し、殆んど税理士の意見に従っていたこと、訴外会社は昭和五二年九月一日から昭和五三年八月三一日までの期間においては純利益をあげておらず、「トントンにしていないと金を貸してくれないからということを税理士に言われて」(竹添の供述)右期間に若干の利益があったように操作して作成された右期間の決算書類によっても、右期末現在の資産の部合計(これには回収不能の三〇〇万円の手形金をも含む)五一五九万七八五七円に対し、負債の部合計は五二一〇万一二〇四円であり、次期繰越欠損金が一五〇万三三四七円あったこと、その後景気が悪化したこともあって、銀行では訴外会社が入手のうえ持参する手形を容易には割り引いてくれなくなったことから、竹添は、昭和五四年二月ころから資金繰りに苦しみ、街の金融業者(いわゆる高利貸し)から高利で金を借り始め、以後、高利貸しからの資金操作によって経営を継続し、異常な経営を正常化する努力をなさなかったことから、結局、経営に行き詰まり、その利息さえ支払うことができず、昭和五四年一〇月倒産するに至ったこと、右倒産時点では、訴外会社の資産は皆無で(この点は、当事者間に争いがない)、約七五〇〇万円の負債(このうち約一五〇〇万円が高利貸しからの負債)を抱えていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、訴外会社代表取締役竹添が原告から建具を騙取した(詐欺罪を構成する)とまで断言するにはいまだ十分ではなく(このことは、前掲甲第一四号証、原告代表者の供述、弁論の全趣旨を総合すると、訴外会社が原告に対し、昭和五四年七月二〇日小切手で一一万四六五〇円支払っていることが認められることに照らしても首肯しうるところである)、他に右騙取の主張を認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、竹添は、高利貸しからの融資によって漫然と事業を継続し、経営正常化の努力もしていなかったのであるから、竹添は、原告に対し建具の買掛の発注をする際、その当時の営業状態に照らすと、その代金支払いをなしうるかどうかその見込みが極めて薄い状況にあるにもかかわらず(前認定のとおり、訴外会社が昭和五四年七月二〇日一一万円余の支払いをなしたことは認められるけれども、他方、証人竹添の供述によって真正に成立したものと認められる甲第六号証、原告代表者の供述によれば、同日、訴外会社が原告に対し振出交付した額面二五万八三四〇円の約束手形は不渡りになったことが認められるのであって、前記支払いがあったというだけでは、代金支払いの見込みが極めて薄い状況にあったということの妨げとなるものではない)、これを注文して納品させたものと認めるのが相当であり、竹添には代表取締役としての職務を行なうにつき少なくとも重大な過失があり、右重過失によって原告に対し前記損害を被らせたものということができる。

ついで、被告の責任について検討する。

証人竹添、被告本人の各供述、弁論の全趣旨を総合すれば、被告は、訴外会社の業務執行について無関心であり、代表取締役竹添から会社の営業活動や経理状況について報告を受けたことも求めたこともなく、ましてや取締役会の招集を求めたことはないことが認められる。

右認定の事実によれば、被告において代表取締役竹添の業務執行の全般を監視する義務を懈怠したことは明らかであり、右懈怠の結果、竹添が代金支払いの見込みが極めて薄いのに建具の発注をなすのを看過し、そのため原告に前記損害を被らせたものというべきであり、しかもその任務懈怠の程度は重大である(少なくとも職務執行につき重過失がある)から、被告は、商法二六六条ノ三第一項前段により、原告が被った右損害を賠償する責任を負うものといわざるをえない。

五、以上によれば、本訴請求は理由があるからこれを認容し(訴状送達の日の翌日が昭和五五年一月九日であることは、記録上明らかである)、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎宏)

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